「これだったのだ!」
池田 忍

 2004年の夏、20年来の友人から「これを読んでみて・・・」と新約聖書を渡されました。興味本位で読んでみましたが、なかなか理解できず、誰かに教えてほしいと思い始めました。
2005年の秋、友人から「苫小牧にキリスト教会ができるけど、オープニング集会に行ってみないかい?」と誘われました。それまでは何度誘われても断っていましたが、この時は不思議とキリスト教会というところはどんな所なのか行ってみたいと思いました。

 教会へ実際に行ってみると、それまで私の心の中にあったカトリック教会の大聖堂のようなイメージはまったくなく、「本当にここがキリスト教会なのかな?」と目を疑いました。
賛美歌が歌われていて、牧師のメッセージというものも初めて聞きました。
その時、私は教会という場にいることにとても違和感を覚えていました。
集会後、牧師に質問をぶつけてみました。そして、どの質問にも丁寧、親切に答えて下さった牧師の姿を見て、「クリスチャンと呼ばれている人たちはなにかが違う・・・」と強く印象に残りました。

 それからしばらくの間、インターネットなどでキリスト教や聖書について調べていきました。やがてもっと知りたいという気持ちが強くなり、教会で行われている日曜日礼拝に出席するようになっていきました。
さらに教会の先生に疑問を質問していきました。
オープニング集会から約1ヶ月が経過した頃には「信じてもいいんじゃないか?」と考えていましたが、まだ強い確信がありませんでした。
やがて思ってもいないかたちで信仰へと導かれました。
それは、インターネットでマーティン・ルーサー・キング・ジュニアという有名な牧師のスピーチを聞いたときです。
1963年8月28日に25万人の大観衆が集まり、公民権運動支持者によるワシントン大行進があったのです。キング牧師はスピーチの結びの言葉でこう述べました。

“Free at last ! Free at last ! Thanks God Almighty, We are Free at last”
「やっと、やっと自由になれた。全能の神に感謝しよう。やっと自由になれたことを・・・」

この言葉を聞いた時、本来なら自分が神様への罪ゆえに受けるべき十字架をイエス・キリストが身代わりとなって下さり、キリストを信じる者は罪が赦され、本当の自由を得られるのだと気付かされたのです。

 「これだったのだ!イエス・キリストによる十字架の意味は!」

思わず叫んでいました。そして「罪から開放されて、人は生まれ変われるのだ!」と身体が震えるような喜びが湧き上がり、教会の先生へすぐさま連絡をして信仰告白をしました。
イエス様の十字架による罪の贖いへの感謝、そして永遠の命が与えられた喜びは日に日に大きくなっています。
自分ではどうすることもできなかった(変えることができなかった)ことを、神様の御業によって変えられていく経験は、神様の臨在を確信させて下さいます。
一人でも多くの人々が本当の神様と出会い、人間の作り出す神ではなく、人間を造られた神様を信じて救われてほしいと祈っています。

『私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。』(Uコリント4:18)